福島視察3日目
今日は「浪江町」の方々から「避難状況の確認について」お話をお聞きしました。町内は現在でも全域、避難指示区域になっており居住はできません。いまだに浪江町から新潟県に439人、その中で柏崎市には213人の方が避難されています。
浪江町の方々は最初正しい情報が流されず、同町の津島地区に避難することになったそうです。この津島地区は同町でも最も線量が高い地区だったにもかかわらずにです。その後、様々な地区への避難が始まったそうです。中にはこの5年間で16回も避難所を変わった方もいるそうです。避難に関して印象に残っているお話を以下に記します。
○当初、地震と津波のみの情報で原子力の情報はなかった。
○マニュアルに頼っていてはダメ。
○東電は不信感でいっぱい(議長)。東電は信用できないが、いい関係は作っていきたい(当局)。
○事故当初、東電からの連絡はなかった。これからは情報を待つのではなく、取りに行くシステムを構築する必要を感じる。
○避難所に、郵便ポスト、自動販売機、乾燥機などがなくて困った。
○避難所が知らない人ばかりだったから、町内単位になった方がいい。避難所にベンチを置いてもらってコミュニケーションを取るようにした。
○議会としては災害対策本部のオブザーバー的な立ち位置だから、活動の邪魔をしないことが大切。
残念ながら学校での避難訓練の様子放射能に対する学習、当日の避難の様子について聞くことはできませんでしたが、柏崎ではしっかりと考えて進めていかなければならないと思いました。説明を受けた後、地元の方に原発の功罪について聞いてみました。そうしたら、今は功罪の罪の方が大きい。でも原発がなかったら自分の親はここに住んでいたかわからない。自分としても別の人生を歩んでいたかもしれないから、功罪といわれても何とも言えない、と話してくださいました。
上の写真のように浪江町でも除染は進んでいます。しかし平成29年3月の避難解除を目指しているとは言いますが、本当にそれがかなうかどうかは疑問があります。心から元の活気あふれる町になることを望んでいます。
浪江町の皆様、ありがとうございました。